(日経「春秋」2014/12/30付) ベルリンから季節の便りが届いた。「ハルキ・ムラカミを見て、とてもうれしかった」と。作家は独紙の文学賞を受賞。先月、壁崩壊から25年の地で「世界には民族、宗教、不寛容といった壁」が残ると講演していた。「村上さん」と呼ぶそんなファンが世界中にいる作家の長編に、「羊をめぐる冒険」がある。この羊は、何かの比喩なのだろう。人間を「迷える羊(ストレイ・シープ)」に見立てた。牧畜が盛んな地域では大切な生活の糧だ。むかしの中国では逃げた羊を見失って嘆く「亡羊の嘆」といった成語も生まれている。現代の羊は、顧客情報だろうか。今年も情報漏洩が頻発した。「亡羊補牢(ろう)」の故事がある。逃げても柵を直せば、被害拡大は防げるとの意味だが、それでは間に合わない。失う前に破れを見つけよ。そう読み替えて新年に備えたい。
(JN) 羊には定まった姿があり美味しくいただくことができるが、情報は形が無く波であり煮ても焼いても食えない。しかも、羊は逃げてもその逃げたことだけで済むが、情報は逃がすと大騒ぎだ。でも、この情報というものは隠しておいても役に立たない。個人情報とてそうだ。共有してこそ情報なのである。私たちは、「迷える羊」の波の中で生きているとともに、巨大な情報の海のなかを泳いでいる。この情報を正しく解釈して行くことが、生きて行くための航海術であろう。「迷える羊」は柵を越えて、否、飛び出して情報やその利用方法を共有して行くことである。政府の都合の良い情報に「迷える羊」とならないように。ひつじ年の一人の男はそう思う。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81469440Q4A231C1MM8000/