アウシュビッツ強制収容所が解放されたのは70年前の昨日

(日経「春秋」2015/1/28付) 1945年に生まれたフランスのユダヤ人作家パトリック・モディアノは昨年のノーベル文学賞受賞者である。88年のある日、古い新聞を繰っていて41年大みそかの尋ね人欄に目をとめる。出したのは娘を捜す両親、住所はユダヤ人地区だった。モディアノはそれからほぼ10年かけて1冊の本を書き上げる。尋ね人広告の情報だけから出発し、ドラも両親もアウシュビッツに送られて殺された事実にたどり着くまでをつづった「1941年。パリの尋ね人」(作品社)というノンフィクションである。モディアノがいなければ、今日記憶にとどめる人はおそらくいない。アウシュビッツ強制収容所ソ連軍に解放されたのは70年前のきのう、1月27日である。「記憶」と「忘却」のせめぎ合いは年とともに激しくなっているように思える。生還者で旺盛な発言者でもあったイタリアの作家プリーモ・レーヴィが残した詩にこうある。「考えてほしい、こうした事実があったことを。/これは命令だ。」
(JN) 人類は、ある自分たちのグループ等が生き残るためとして、ジェノサイドを行ってきた。アウシュビッツは、70年前の昨日で閉じられたが、残虐な行為は、1945年以降にも行われている。なぜ、私たちは、敵を作り出し、それを滅ぼそうとするのか。連帯ができないのか。ナチスの狂気の沙汰は、あってはならないものとして、私たち全ての者が知り、理解をしなければならない。それは、様々な方法があろう。私は、嘗て二十歳前後に『夜と霧』にて、知ることはできたが、理解度は低かろう。広島や長崎のように、現場にはなかなか行けないが、機会を作り、読み物、映像などを見て行きたい。まずは、『1941年。パリの尋ね人』を読むことをしてみたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82479350Y5A120C1MM8000/