「心をこめて見るべきもの」はあの戦争だ

「心をこめて見るべきもの」はあの戦争だ
(日経「春秋」2015/2/22付) 「平家物語」には、名場面がたくさんある。壇ノ浦の戦いで、「波の下にも都がございます」。幼い安徳帝も、こうなだめる祖母。「見るべき程の事は見つ」と平知盛が言うのはこのときだ。時代の曲がり角で歴史は、いや応なく人々に「見るべきもの」「見なければならぬもの」を提示する――。思想史家の河原宏氏は「日本人の『戦争』」にそう記し、さきの戦争も今なお「見るべきもの」だと唱えた。戦後70年の節目に、安倍晋三首相が出す談話は戦争をどう振り返るのだろう。その中身を考える有識者会議が近く初会合を開く。「植民地支配と侵略」「痛切な反省」といった語句ばかり取り沙汰されるが、大切なのは戦争の実相をしっかりと「見る」ことではないか。そうすれば表現はおのずから浮かび上がってこよう。未来志向はもちろん重要である。しかし過去からあえて目をそらすならそれも説得力を欠くに違いない。戦争中の日本はアジアでこんないいこともした、という言説も心配なのだ。3年前に亡くなった河原氏が「心をこめて見るべきもの」はあの戦争だと切々と訴えたのは、戦後50年の年だった。指摘は重みを増している。
(JN) 戦争を始めたものに正義はない。言い訳を言えないが、なぜ起こしたかは、明らかにしなければならない。その理由は、一方的な偏った理由や少数の人たちの行動に集約するのではなく、様々な理由を認めなければならない。また、軍人以外の人々へ残虐行為を犯したことから言い逃れをしてはならない。ワイツゼッカー元大統領の言ったように、「過去に目を閉ざす者は現在にも盲目となる」、過去の事実とその背景に真摯に向き合うことである。我々側は、加害者である。被害者の側の恨みつらから、逃げてはならない。威勢よく戦争行為を正当化したり、また、こてこてに無駄に形容詞を使い、真実を隠し通すようなことにならぬようにすべきである。更に、諸外国への無礼とともに、自国民へのこの愚かな行為について、代々の現職の首相は常に、謝罪の心を明らかにして行くべきである。戦後生まれの私は「見る」ことができないなどと愚かなことは言わないであろうが、確かに過去のことは、記憶が記録となり真実より外れることはあろうが、愚かなことを行ったという真実は間違えない。その事実を「見る」、「見なければならなぬもの」である。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83523160S5A220C1MM8000/