(日経「春秋」2013/9/17付) こんなはずじゃなかった……。思えば「はず」が外れてばかりなのだが、もともとこの言葉は弓術から来ている。これがきちんと合うから矢が勢いよく飛ぶ。そこで「はず」といえば物事の道理の意味になり、○○のはず、などと言うようになったらしい。さて前置きはともかく、近年まれに見るひどさの「こんなはずじゃなかった」は司法試験改革だろう。法科大学院を修了して司法試験に受かった人は今年も4人に1人にすぎない。身近で使いやすい司法を、70〜80%の司法試験合格率をうたったのは夢物語だった。合格率低迷にあえぎ、魅力がないからまた優秀な学生が来なくなる悪循環である。企業や役所が法律家を広く受け入れる環境もなかなか整わない。法科大学院を経ずに司法試験に挑める「予備試験」組は合格率が70%を超えた。こんなはずじゃなかった、こんなはずじゃ……。「はず」の合わぬまま、いつまで矢を射つづけるのだろう。
(JN) 日本の社会は大学院修了者を必要としない社会である。その社会を整備しようというが、社会や企業は大学の入試レベルは信用していても、大学の教育課程を信じていないのが現実である。そこで、文科省が審議会を立ち上げて米国のようにせよと制度改正を大学自身に迫るわけだが、大学からの自主的・主体的ではない改革でどこまで、その中身が充実するのか、否その「はず」がないのではないか。「はず」がないので、改革の矢は飛ばない。アベノミクスと同様に、何本も矢を準備しても、それは飛ばす矢にはならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO59792220X10C13A9MM8000/