大山のぶ代さんの死去に『余録(241013)』は思う▲大山さんは中学時代、学校に行くのがつらい時期があった。特徴あるだみ声が、からかわれたためだ▲無口になり、一言も話さず下校する日が続く大山さんを「あなたらしくもない、明日からドンドン声を出すように」と励ましたのは母親だった。放送研究部で活動、高校在学中に俳優座養成所に参加する▲「あの子」と呼ぶドラえもんとの出会いは1978年。声の担当は26年続いた▲「のび太君」を助け、励まし続けるドラえもんは、「大きな母心がこもったやさしさ」だと▲役を引き継いでいる水田わさびさんは「大山さんの背中に届くように、のび太君たちとこれからも冒険します」と。「ドラ声」はこれからも子どもたちに寄り添っていく。
(私は)思う。声優がそのキャラクターのイメージを作るのか。そのイメージで声優が選ばれるのか。それはともかく、ドラえもんの声は「ドラ声」であり、大山のぶ代さんだ。その声が子供たちの心に響いたのだろう。大山さん、ありがとうございました。ゆっくりお休みください。