核兵器禁止条約に『小社会(231107高知新聞)』は思う。「hibakusha(ヒバクシャ)」という表現は核兵器禁止条約の前文にある。「ヒバクシャの受け入れ難い苦しみに留意する」。一つは日本人の被爆がいかに悲惨であったか。広島・長崎・ビキニ環礁。もう一つはその条約を当の被爆国日本が批准していない事実である。広島で被爆したカナダ在住のサーロー節子さんが訴えている。「核兵器は必要悪でなく絶対悪だ」。イスラエルの閣僚がガザ地区への核使用の可能性に触れた。ロシアもそうだが、政治家が核攻撃を簡単に口にする時代になるとは。これもヒバクシャを苦しめる、もう一つの現象だろう。いやヒバクシャでなくても受け入れ難い。いかなる正義も核使用を正当化できない。
(私たちは)体験しないと理解できないことが多いが、これは体験してはならない。被爆するということは如何なることか。命を失う。生き残って後遺症に苦しむ。使用してはならぬこと。為政者ならば体験しなくともその恐ろしさがわかるだろうに、いとも簡単に使用の可能性を口にするとは愚かなること。そして核兵器禁止条約に批准せぬことも愚かなり。