『家族のありようが変わっても、家族へ寄せる思いは変わらない』<2018年12月25日(火)>
平静を代表する家族ドラマは? 『余録』(181225)は「『渡る世間は鬼ばかり』を挙げる人は多いに違いない」と。「1990年に始まり、28年になる。まさに平成と歩みをともにした。・・・時代につれ家族像は変わった。・・・この先、家族はどう変化するのか。眉村卓さんに未来の家族を描いた短編がある。主人公の男が買った家事用ロボットは老朽化し、もはや時代遅れだ。でも働く気は満々で、情が移り、とても処分する気になれない。男は『(昔の人は)こういう家族関係が生じることを夢にも考えなかったのだろう』と感じる。・・・家族のありようが変わっても、家族へ寄せる思いは変わらない。そんな作家のメッセージなのだろうか」。
(JN) 我が家族は、先ずは昭和の終わりに二人から始まり、平成に入り、3人そして4人になった。4人が一つの屋根の下で一緒に暮らししてきた。「渡る世間は鬼ばかり」とともに、構成員は年齢を経た。家族間で何を話してきただろうか。食事時に家族が集まり、たわい無い会話の繰り返しであったか。家族はありがたい。話し相手がどこかにいるわけである。それがどんな方法になろうか。また、家族自体の形も変わっていくのであろうか。これから、家族の発展はどのようになろうか。今日の朝のケーブルテレビでやっていた「渡る世間は鬼ばかり」、そのころのピン子さんや卓造さんはお幾つであったろうか。今も放映されているということは、この家族に私たちは何を求めているのだろうか。