『グレイクリスマス』

『グレイクリスマス』<2018年12月24日(月)>
 クリスマスイブ、『余録』(181224)は斎藤憐の戯曲「グレイクリスマス」を紹介する。「劇団民芸が約20年ぶりに上演・・・<雪は、ゴミ溜めも焼け跡も、汚いものをみんな隠してくれます><雪、降らないかしら。明日になればとけてしまって、いろんな汚いものが見えてもかまわない>。憧れのホワイトクリスマスならぬ灰色の世界は、うやむやのまま幕引きされた官僚のセクハラ疑惑や課題を積み残したままの外国人労働者受け入れ拡大、改憲の動きなど、どんよりとした今の日本の空気を思わせる。・・・主人公が憲法を読むシーンで幕となる。<この憲法が国民に保障する自由及び権利は、国民の不断の努力によって、これを保持しなければならない>。
 (JN) 米国に敗戦、様々な政策において、米国は憧れのものとなり、同化し、追い抜こうと努力してきた。民主主義とともに、クリスマスの普及も米国の政策であったろうか。素敵なホワイトクリスマス。白い雪の下に嫌なものを隠す雪。サンタクロースが夢を運んできてくれる。しかし、キリスト教徒でない者がクリスマスを祝うとは、何を祝うのであろうか。お釈迦様の誕生を祝わず、なぜキリストの誕生を祝うのか。表面の楽しいことのお祝いを真似することはどうなのか。多神教である日本の人々、それはそれで仕方ないとしても、初めにその意味を考えたい。それぞれあり方について、そのほんの少しでも、趣旨を考えたい。<国民は、これを濫用してはならないのであつて、常に公共の福祉のためにこれを利用する責任を負ふ。>