『「68年」から半世紀。マスコミでは今年「あの時代」を回顧する企画が多かったが、関心は今一つ盛り上がらなかった』<2018年12月16日(日)>
1969年の「明日に向って撃て!」のヒットは「『反体制』的な生き方に憧れる人々の渇きをロマンチックに体現していたからだ。前年、欧米や日本で同時多発的に学生の反乱が起きた。掲げた要求はまちまちでも、権力に抗し社会変革を目指す無鉄砲さこそは若者の特権である」と『余録』(181216日)。そして今、「パリで反政府デモが荒れ、米国では若者の左傾化が話題だ。日本では趣が異なる。日本大アメリカンフットボール部問題には『日大紛争』時の管理体質が今も残る内情が垣間見えて驚かされた。『東大紛争』は医学部の研修制度改善がきっかけだったが、各医大の不正入試や研修医の過労問題は、何も変わっていない実態をさらけ出している」。
(JN) 1969年、はるか昔で記憶が乏しいが、「明日に向かって撃て!」の他に覚えている映画がある。「卒業」、「2001年宇宙の旅」もそうではなかったか。映画自体より、音楽の記憶が大きい。バート・バカラックやサイモンとガーファンク。「ツァラトストラかく語りき」や「美しき青きドナウ」と劇場映画の画面の展開。どうしたことか、前年のテレビに映っていた学生運動はどこへいってしまったのか。心はアームストロング船長、月世界にも飛んで行った。私の心は、司馬遼太郎の世界に迷い込んでしまった。まんまと私たちの眼から反体制を隠されてしまい、未だに矛盾を体の奥底に隠したままである。50年前は、明治維新100年を意識していたのだろうか。今、維新150年にあたり、何を意識すべきであろうか。隠されていることを洗い出し、「総括せよ」。