『どうしてこう人間は忘れっぽいのだろう? どうしてこう人間はじき大胆になるのだろう?』<2018年3月11日(日)>
「あの日の記憶が薄れ、遠い地への想像力も鈍りがちだ」。『春秋』(180311)は震災から7年、思いを語る。「回向院は「日本一の無縁寺」を名乗る。訪れた田山花袋はルポ『東京震災記』でこう嘆いた。『どうしてこう人間は忘れっぽいのだろう? どうしてこう人間はじき大胆になるのだろう?』。・・・東日本大震災からきょうで7年がたつ。津波などに襲われた被災地の生活は、7年の時を経た今も、震災以前の日常とは遠い。・・・姿を変えていく故郷を見つめる東北の人々の心を思うと、やはり切ない」。
(JN) 嫌なことは忘れたい。でも、それを忘れるとまた嫌なことを繰り返す。ではどうしたらいいのだろう。自分の心を落ち込ますことなく、現実と向き合っていくことができるのであろうか。多分、日々、向き合って行くことはできない。また、全てを自分の中で理解することはできない。それは、向き合う日を設けたり、自分の地域以外での出来事を思うことであろうか。それを真剣に受け止めて、自分の行動を修正していく。昨日の東京大空襲、本日は東日本大震災、辛い話を身近に感じることである。そして、時には休みを取り、遠出し、そこでの歴史を紐解き、過去へ想いを巡らそう。