(朝日「天声人語」2015年2月8日) 長崎で被爆した歌人の竹山広さんから、記憶の風化を静かに憤る一首をお借りしたい。「孫よわが幼きものよこの国の喉元(のどもと)は熱きものを忘れき」。竹山さんの歌が、「ノクターン―夜想曲」という舞台劇を見るうちに脳裏に浮かんだ。こちらのテーマは福島の原発事故。脚本家の倉本聰(そう)さんがつくり、巡回公演が始まっている。震災から数年後、避難区域の一軒家で、身内らを亡くした人たちが偶然出会うことから話は始まる。故郷、愛(いと)しい人、時間。奪われたものへの哀惜が舞台の上で紡ぎ出されていく。東日本大震災から来月で4年になる。わずかな歳月しかたたないのに「風化が堂々と進んでいる」と倉本さんは言う。たしかに、安全を押しのけるように「経済」がぬっと前に出て、政府や財界の原発回帰は鮮明だ。今も12万人の福島県民が避難先で暮らしている。福島からの電気を無邪気に使い、それを反省したはずの大都会にも、その気配は濃い。忘却を拒む志を、舞台上に見る思いがした。
(JN) 多くのことは忘れてはいけないものである。しかし、我々の能力には限界があるので、様々な形で記録を残し、未来に持って行く。そのように忘れることで、新たなものを生み出していくのであるが、その記憶が不都合であると、記録に蓋をして忘れてしまおうとする。現実はまだそのことが残っているのに、嫌なことを無理やり、仕舞い込んでしまう。特に、福島の原発問題は、電力会社他、大資本にとってはもっと忘れたい問題である。それに従って私たちも忘れてはならない。大きな資本力に対して、小さな人間たちは手を取り合って、記憶と記録をつなぎとめておかないと、私たちの誰かがまたその悲劇を体験することになるであろう。あの震災の日の心を記憶に留めておこう。大事なのはお金ではなく、仲間の命である。
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