『甚大な被害の下では「教員」としてより、人としてどう動くかが問われると』<2017年3月7日(火)>
「春秋」(170307)は、宮城県南三陸町の戸倉小学校の校長だった麻生川敦さんの経験を伝える。「避難の方法を協議しだしたのは東日本大震災の2年前だった。非常時の学校運営に必要な事柄を詰めるなか、3.11の大きな揺れが襲う」。震災後、「体験を研修などで80回余り伝えてきた。『想定外の事態の前では、時に大胆な判断も必要だ』『地域をよく知る人こそ防災力が高い』など教訓は重い。甚大な被害の下では『教員』としてより、人としてどう動くかが問われると強調する。来るべき日の備えとしてかみしめたい」と。
(JN) 3.11が近づくと防災のことが多くの話題になる。でも、大震災がいつまたどこで起きるかわからぬのに、私の心は他人事のようになってきている。何かあった時は、その備えが大事なはずなのに、ものも心も準備疎かになってきている。災害が何時どんな状況になるかわからないからといって、その対応を諦めてはならない。皆と生き抜かねばならない。それが家庭に居る時に起きるのか、通勤時か、職場内か、出張中か、旅行中か。どんな規模になるのか。昼間か夜中か。ものの準備だけでなく、どんな行動をすべきか、これを準備しなければならない。その心が大事だ。