『「感情労働」はサービス業の現場だけでなく、われら・・・』

『「感情労働」はサービス業の現場だけでなく、われらが会社主義の宿痾(しゅくあ)である』<2017年4月17日(月)>
 「ば空気の読めぬKY君」について、「春秋」(170417)は映画「タンポポ」の1シーンを紹介し、日本の労働者の働き方について考える。「企業の幹部が取引先の重役連をフランス料理でもてなす段、みんな無難に舌平目のムニエルとビール。ところが末席の平社員がひとりそれに従わない。右へ倣えの日本的サラリーマン社会をチクリ。周囲に染まらない者へのまなざしは昔も今も同じだ。理不尽なほどに感情の制御を強いられる『感情労働』はサービス業の現場だけでなく、われらが会社主義の宿痾である。新入社員を苦しめるのは仕事自体よりも『空気』ではないのか。」
 (JN) 職場それぞれに空気は存在する。「良い空気」もあれば「悪い空気」もある。皆同じにという、悪平等はどっちの空気であろうか。早く帰りたくでも時間外労働。時間外労働をしても横並び。お仕着せの空気は勘弁してもらいたい。そして肝心な時は知らん顔? 困ったとき、不正に気付いたときははじき出される。お互いを感じる空気がおかしくなっている。個人の評価を上げることに齷齪し、組織や仲間のことは後回しだ。良い空気を皆吸いたいはずである。仲間が困っている時に周りが感じ取り支援する。組織の誤りに気づいたら、それを受け入れる。そんな空気を売り出せば、売れないか。否、買い手がないかな。