<2016年12月6日(火)>
『ベースボール遠く見ている野菊かな』
元ジャイアンツの打撃コーチの荒川博さんの訃報に、「筆洗」(161206)は渥美清さんの俳句を想う。「中学生の王さんが野球をやっているのを散歩中の荒川さんがたまたま見つけ、指導する。そこからすべての道がスタートする。大半の人間のもとには才能を見いだし、力を貸す『荒川コーチ』はやって来ない。やって来たのかもしれぬが気がつかぬ。偶然の出会いと努力、そして偉業。荒川さんと王さんの歩みは奇跡の、そしてお二人にとって幸せの物語である。」
世界の王の一本足打法、その物語は厳しい特訓の連続である。荒川さんは王さんの並々ならぬ努力を称えたが、一人の努力には限界がある。あの記録を作り上げるには荒川さんが必要であった。人は如何に好いコーチや指導者に出会い、それを活かすかであろう。一方、コーチは凡人にも欲しい。能力者でさえ客観的に自分を見ることができないのであるから、凡人は尚更そうである。日々活躍するためには、凡庸な努力にプラスしてコーチが必要だ。それがどんな形であるか、職場にその役目をする者がいるところは力を伸ばしているのではないか。一般の職場日は王選手はそれほど必要ないが、荒川コーチは必ず必要である。(JN)