土地は返還されるのが当然で、辺野古への移設は筋が違う
(朝日「天声人語」2015年4月6日) 沖縄の墓は大きい。詩人の山之口貘が故郷の墓について書いている。墓の中にむしろを敷いて、三味線に似た三線を奏でる人が出てくる。きのうは二十四節気の清明だった。沖縄では「シーミー」と呼び、この季節に親族そろって墓参をする。大切な年中行事の一つだが、代々の墓が米軍基地内にある人たちもいる。許可をもらって入り、供養するのだという。普天間飛行場では、今年は12日の朝9時から夕4時まで許可になるそうだ。それも年に1度。こんな墓参りがあるだろうか。取り上げられた土地は返還されるのが当然で、辺野古への移設は筋が違う――翁長雄志知事の主張は胸に届くものがある。知事と政府の菅義偉官房長官が会談をした。国側は、会ったことをもって強硬姿勢の免罪符としてはなるまい。沖縄はいま、「うりずん」の響きもうるわしい若夏のとき。しかし70年前、この季節に悲惨な沖縄戦は始まった。歴史の縦糸の先に基地の問題がある。国土の0・6%にすぎぬ島に押しつけてきた、負担の総量を思いたい。
(JN) 小さな島国に押し付けた米軍基地、いつまで、沖縄の人たちを犠牲にして行くのか。地方創生と地方を煽てながら、地方をどう思っているのか。沖縄にある米軍基地は、そこにある事が重要なのか。そこでなくてはならないのか。そんなことはないであろう。犠牲者の継続である。第二次大戦はまだ終わったのではないのである。停戦の中で、占領軍の言いなりになっている首相たちの犠牲になり続けるしかないのか。勇ましい発言より、もっと大事なことをして欲しい。
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