モノや地位よりも仲間の数が幸せ??

モノや地位よりも仲間の数が幸せ??
(日経「春秋」2015/4/5付) 「一度破いてテープで貼った/蒼(あお)いフォトグラフ」。「セピア色に」褪(あ)せている。今のデジタル世代にはピンと来ないかもしれない。破く。燃やす。旅に携える。故郷に送る。当時の若者向けの歌には、幸せの象徴として「1枚きりの写真」がしばしば登場する。映る姿も棒のような直立不動が大半。それに比べデジカメやケータイに慣れた世代は、どんどん気軽にシャッターを切る。ポーズづくりも上手だ。20歳前後の人たちに「あなたにとって幸せとは?」と聞いてみた。すると、大勢の友人と一緒に撮った写真を大量の枚数、見せられたという。映る顔ぶれは写真ごとに違っていた。モノや地位よりも仲間の数が幸せであり、写真はその証拠なのだそうだ。この季節、進学に就職、転勤と、慣れない環境や新しい人間関係に身を置く方も多い。古い写真を見る。「今ごろきっと、あいつも頑張っているはず」。そう自らを励まし、明日に目を向けてほしい。
(JN) 大学を卒業して40年弱、仲間はそれぞれの国に帰り、その後は年賀状だけのやり取りで生きていることだけはわかっているが、彼奴はいったいどうしているやら。あのころは、お互いに写真を撮るなどということもなかった。アルバイトを一所懸命してペンタックスを買い、レンズを揃えたが、何を映したのであろうか。仲間のセピア色の写真は、どこの棚にあるのか、一方カメラは、アルミのボックスとともに倉庫の奥底に眠っている。その後、オートフォーカスのお手軽カメラで家族写真を撮るが、自分は殆どいない。確かに集合写真はあるが、職場の関係がほとんどである。写真は、何のための撮っているのか。証拠づくりであるのか。それは現在進行形の時に必要なのであろう。しかし、そんな証拠より、心のつながりをもっと大切にしてもらいたい。また、写真に入れない仲間外れをつくるなかれ。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85312250V00C15A4MM8000/