まるで機械じかけのような桜の集団行動

まるで機械じかけのような桜の集団行動
(日経「春秋」2015/2/26付) 梅かと思い歩み寄ると、桜だった。寒空の下で、色もあざやかに開き始めている。早咲きで知られる「河津桜」である。全国に何万本あるだろう。60年前にはたったの1本だった。原木が伊豆の河津町にある。今や8500本となった並木に、ひと足早い花見客が押し寄せる。一斉に咲き、一斉に散る。まるで機械じかけのような桜の集団行動の秘密は「どんどん増える」という性質にも関係があるらしい。桜は、接ぎ木で増えたクローンである。ほとばしる生命力の裏に、ふと不気味な影を感じるのは、そのためだろうか。出会いや別離の時を彩る「染井吉野」は、一気に乱れ咲き、潔く一週間で終わる。変化の予兆を静かにささやく「河津桜」は、1カ月も咲き続ける。つぼみが開いたり閉じたり、ためらいながら進むからだそうだ。どちらが優しいだろう。本当に強い木はどちらだろう。いずれの最長樹齢も、まだ正確には分かっていない。
(JN) この世の中、私たちの分かっていることは極僅か。でも、桜は、こういう風になるが分かるだけでもいい。否、わからなくても、咲いたら楽しむ、そんなことができれば嬉しいが、この慌ただしい世の中、いつ咲くから何時行こうになってしまう。桜の分析が進めば、そのうち、いつ桜が見たいからいつ咲かせようとなってしまうのか。これでは、自然を楽しめない。自然を強制するのではなく、自然の中で生きて行く心が私たちであった。人それぞれであるので、楽しみ方も色々、でも咲かなければ楽しめない。そこを私たちは共通認識したい。私たち人間も、桜も、この自然の中で生きていける環境を大事にしたい。とにかく、この狭い日本、そのごみごみした東京で、できるだけ自然の美しさを満喫したい。都会の中での自然とのふれあい、その力強さも感じたい。さて、今年は、どこの桜を見に行こうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83689210W5A220C1MM8000/