空路なら3時間足らずが、何十光年もの隔たりに思える。

空路なら3時間足らずが、何十光年もの隔たりに思える。
(日経「春秋」2015/4/9付) 臘梅(ろうばい)、水仙、梅、桜。季節が逆戻りしたかのような陽気のなかでも、咲いては散り行く花が時の移ろいを教えてくれる。星の点描の変化もまた同じだ。冴(さ)えた光で大三角を支えたシリウスは西に傾き、北斗七星や乙女座のスピカがつくる「春の大曲線」が夜空に弧を描く。同僚の1人が「あの夜は本当に怖かった」と切り出した。2004年、小泉純一郎首相の2度目の訪朝に随行した時の話である。平壌で夜の街に出たが、経験のない漆黒の闇。以来10年余。被害者家族が望みを託す再調査は遅々として進んでいない。代替わりした彼の国の若き指導者には幼子がいると聞く。その子を抱いて満天の星を眺めることはあるだろうか。その時、肉親の情をめぐって、何ほどかの感慨が胸に湧きはしまいか。東京―平壌間約1300キロ。空路なら3時間足らず。時にミサイルの発射に脅かされる一衣帯水の距離が、何十光年もの隔たりに思える。
(JN) 真っ暗と言う経験、最近では、なかなかできない。子どもの頃、田舎に行けば、新月の日などは、空の星だけが光、夜道は本当に怖かった。そういえば、真っ暗ではないが闇が追いかけてきたのが、計画停電での時間だ。東京での空は、真っ暗になろうと点に輝く星は、知っている星しか見えないが、あの子供のころに見た天空のきらめきは何とも言えない怖さがあった。今では、日本中明るくなり、山奥にでも行かなければ、真っ暗な場所はないだろうが、同じ空でも北朝鮮の夜はまだ大自然を感じられるのであろう。近くて遠い国、ある一部の欲望のために閉ざされているこの国を我々の時代に開放したい。今は、その先が見えぬ真っ暗なその未来を何とか明るくするには、どうすれば良いか。多分脅しではなく、資本主義の力であると考える。資本主義の波で、北の国を浸してしまうことを考えてもらいたい。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO85463350Z00C15A4MM8000/