サルですら紛争回避の知恵がある

(日経「春秋」2015/2/17付) こんにちは。ありがとう。意識せずとも頭は下がる。おじぎのしぐさは日本人の身に染み込んでいる。しっかり目を合わせて握手するつもりが、視線が外れて戸惑う欧米人も少なくない。京大の研究者がニホンザルの独特な挨拶の文化を発見した。けんか寸前になると、お互いの体をハグして緊張を緩めるそうだ。南北で地域差があり、宮城県金華山では正面から長く抱擁して体を揺するが、屋久島では体の横から軽く抱いて手のひらを閉じたり開いたりする。南と北のサルが出会ったら、どうするだろう。サルですら紛争回避の知恵がある。自分と異なる宗教や民族を許せず、憎悪が満ちあふれて一触即発となった人間社会は悲しい。8年ほど前、モスクワでこんな取材経験をした。こちらが日本人とみると、プーチン大統領は流れるようにおじぎをしてみせた。日本式に目は伏せていた。ふと緊張が解け、自然に笑顔が出た。あのぬくもりのある間合いを、忘れたくない。忘れてほしくない。進化した人間の英知を信じたい。
(JN) 人々は、地球の様々なところに分布するようになり、文化も価値観も様々となった。必死に生活圏を広げ、家族単位で自分たちを守ってきた。その守るものも様々であり、互いを理解することが難しい。サルですらと言っては失礼だが、お猿さんたちも場所が変われば文化も変わる。それを理解するのには時間がかかろう。人間さんたちも、お互いに理解し合うには時間がかかるし、そのまえにお互いの憎しみ合ってきた歴史もある。憖じっかそんな記録が人間様にはあるので、始末に負えない。そういう過去を水に流して、ちゃらにすることができない。更に、私たちの欲望は、資本の塊に導かれ、それは尽きない。でも、その憎しみと欲望により、あの70年ほど前に国々は戦火に苦しみ、二度と起こすまいと思い、記憶されているはずだ。闘うのはテーブルを前にして、お互いの存在を理解するやり取りができないものか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83288990X10C15A2MM8000/