異なる文化同士の接触や交流は人々を幸せにしていくものでありたい

異なる文化同士の接触や交流は人々を幸せにしていくものでありたい
(日経「春秋」2015/2/23付) 長い棒の先にスマートフォンや小型カメラを取り付け、自分たちの姿をパチリと撮影。そんな「自撮り」のブーム。自撮りのための棒である「自撮り棒」は1980年代の日本でも発売されたが、あまり普及はしなかった。いまのブームの火付け役は外国人観光客、特に急増したアジアからの若者たちだ。自分の動画を撮影しながら歩いている人もいる。インターネットを通じ、デートや観光旅行などリアルな生活の充実ぶりを発信したい「リア充」派には、格好の小道具に違いない。国境を越えて人が行き交う。伝統や慣習、さらに「自撮り」のように新奇なモノやふるまいまで、楽しいことや便利なものはどんどん広がる。はじめは違和感や摩擦があっても、議論を重ね、時を経て、自然に消化、定着していく。異なる文化同士の接触や交流は、そんなふうに人々をより幸せにしていくものでありたい。
(JN) 「自撮り棒」、私のイメージは「地鶏棒」だ。美味しい地鶏をいただくための道具、先にトリモチがついていて、地鶏を捕まえる棒だと思っていた。しかし、全く違っていた。素晴らしい風景の中に自分を入れて撮影する、自慢写真のためであった。私も、FBの自慢写真で、自分が入った風景を取ろうとして、ほとんど自分のドアップ写真であったが、こんな便利なものがあるとは。でも、これは大いに普及すると、そちらこちらから棒が出てきて、奇妙であるが、家族との旅で、帰ってきて写真を整理するとお父さんは、旅館の前での家族写真だけに写っている旅になっていたが、これが解消されそうだ。でも、自分で自分の顔を写すのは何だか恥ずかしさもある。ということで、私は、旅館の女将に撮ってもらう家族力写真で我慢しようか。世間で、当たり前になるまでは、保守的なオヤジは使えない。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83535560T20C15A2MM8000/