芝生の上の八百長は想像以上にはびこっている

(日経「春秋」2015/2/8付) 女優の奈良岡朋子さん、「一番刺激を受けて、嫌な思いをしないで済むのはアスリート(運動選手)の世界ですね」と語っている。スポーツには台本がなく、勝つために鍛えて鍛えてなお「負け」という残酷な結果を突きつけられることだろう。いや、サッカー日本代表のアギーレ監督解任の裏に、そんな現実が見え隠れする。サッカーの八百長を分析した本の邦題は「あなたの見ている多くの試合に台本が存在する」。そこには、負けるため、そしてしっぽをつかまれぬよう全力を尽くして怠ける選手の姿がある。「八百長は嫌いだ。なぜか分かるか? 俺は選手であって俳優ではないからさ」と語った元選手もいたそうだが、本を読めば芝生の上の八百長は想像以上にはびこっていると分かる。日本にだって相撲や野球には俳優気取りが現れたことがある。「一番刺激を受けて、嫌な思いをしないで済む世界」はさほど安泰ではない。
(JN) 八百長は、人間の世界では、様々なところに現れてくる。これは、一生懸命やっている限りは、多分、できないのであろうが、それなりに力があると、相手を見ながらできるのであろうか。辞書に寄れば、本来、八百屋の八百長さんがある親方を相手に碁を行う際に、一勝一敗のバランスを考えての行動にあるようで、金目当てではなかったようだ。余裕綽々の者は、手を抜くことができ、相手を見ながらぎりぎりの挽回しもできる。この様を美しくは映らない。我々は、相対的に行動してしまうところがあり、また、余力を次に残したい。なかなか全てに一生懸命することはできない。相手あってのこの世界、お互いが常に力を向上させることが力を伸ばし、見る方も感激する。それは、芝居も同様であるが、凡人は足を引っ張ることをしてしまう。それは何のためか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO82961410Y5A200C1MM8000/