(日経「春秋」2014/9/1付) 関東大震災、すでに大正時代は遠い昔である。それでも惨禍を知る人はたくさん生きていて、新聞やテレビには生々しい体験談があまた登場した。このころまでは、関東大震災はじかに語り継がれていたのだ。しかし歳月は流れ、記憶を持つ人は急速に減っていく。今年もその日がめぐってきたのだが体験者はいよいよ数少ない。激しい揺れが襲った午前11時58分は、だから多くの家庭が火を使っている最中だった。しかも折あしく台風による強風が吹き、被害が一気に広がった事実を往年の体験談はよく教えている。命からがら避難した陸軍被服廠跡で4万人近くが亡くなった悲劇も、実際に接した人々の話はまさにこの世の地獄を知らしめていた。体験の継承ほど大切なものはない。しかしそれを重ねていくのはとても難しい。東日本大震災だって、やがては社会の共通体験ではなくなるだろう。風化を防ぐのは記録である。91年前の災厄でさえ、いまも新たな証言や映像が現れてわたしたちに教訓をもたらすのだ。記憶のすごみと記録の力。継承のための武器である。
(JN) 今日、関東大震災があったという事をどれだけの人が分かっているのか。訓練をする日であるという事を小中学生ぐらいは知っているが、なぜ、今日行うのか、それを理解することが大事である。これは、他人事ではない、自分に降り懸かってくることである。東日本大震災でのあれだけのショックを受けたのに、自分たちはその対策を準備しているのか、と問われても自信がない。国として、地域として、職場として、教育機関として、家庭として、それぞれに用意しておかねばならないことがある。また、起きた時にどういうことが起きて、どうすれば良いのか。体験情報は重要だ。記憶は変わってしまうこともあろうが、体験の記録を基に確認を繰り返しして行くことが必要だ。とにかく、様々な災害の体験談を多くの人に共有し、非常時への甘い考えを無くしたい。これは、大震災だけでなく、大水、崖崩れ、火事、台風などの対策、様々なことに繋がってくる。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO76427430R00C14A9MM8000/