(日経「春秋」2014/9/9付) 11世紀に北宋で完成した「資治通鑑(しじつがん)」は評価が高いもののひとつだと。編さん者の司馬光は、年月の順を追って史実を記す編年体を採った。歴史に学ぼうとしない風潮を憂えた司馬光は、政治はどうあるべきか、事実を示して考えさせようとしたという。公表された「昭和天皇実録」も編年体で書かれている。私たちは何を学べるだろうか。たとえば1931年9月に勃発した満州事変をみてみよう。日中両軍が衝突したとの報が入ってから、天皇は若槻礼次郎首相らに再三にわたり、事態が拡大しないよう努力を求めた。だが陸軍の動きは止まらず、戦線は広がるばかり。後に天皇は満州事変で、戦争がなかなか途中でやめられぬことを知ったと語っている。始まったら戦争の制御は容易でない。私たちにとって教訓だ。昭和天皇実録にはマッカーサーとの会見内容が物足りないという声や、他の文献に出ている肝心な事実が抜けているとの指摘がある。昭和の時代から教訓をつかみ取るには、この大部の資料だけに寄りかからない態度もいるようだ。この実録はどんな評価を得るだろうか。
(JN) 記憶が記録になるので、早く記憶を記録にしたい。また、できた記録は、記憶に基づき都合により手が入る。この「昭和天皇実録」は、お生まれが1901年であり、昭和の始まりが1926年であるので、100年以上前のことから、どれだけ事実を史実として表現できたのであろうか。60年以上に亘る昭和の歴史は、まさに激動、どんなことに対してどんな対応がなされたのか、学ぶべきことが多々あろう。しかし、この実録ができたから、昭和の歴史はこれに従う訳でもなく、私たちは様々な立場の情報を各自の心で捉えていかねばならない。それにしても我々は、過去の戦争に何を学んだのか、学んでも忘れてしまう日本人が結構いることも学ばなければならない。
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