「違憲状態」だった

(日経「春秋」2013/11/21付) 「最高裁はどういうつもりだ」「何でもかんでも違憲判断していいのか」「司法の暴走を止めろ」。婚外子の相続格差を正す民法改正について、せんだって、自民党ではこんな声が噴き出した。最高裁違憲審査権を持っている。三権分立のイロハのイだ。「1票の格差」訴訟の司法判断など国会ぐるみ、政治ぐるみで軽んじてきた歴史がある。昨年12月の衆院選をめぐるきのうの大法廷判決もまた、そんな扱いを受けるかもしれない。審判は「違憲状態」だった。最高裁のジャッジが大いに注目されたわけだが、フタを開けてみればあんがい穏当、言葉を変えればぬるい結論ではある。こんどの判断をみるとその思いに影が差さぬでもない。さきの婚外子判決に対する政権党からの非難が、まだ生々しいなかでの「オトナの判決」……。うがちすぎというものか。
(JN) 世の中、人間もルールも完全ではないので、オトナの判決が下される。でも、これは歯切れが悪い。不幸になる人が少なく、また幸福になる人が少ない。このようなオトナの判決ではなく、全く違う次元の判決というもの編み出すことができないものか。それは司法のやることではないのであろう。司法はそれをやり直せと判決し、立法が新しい発想を生み出し立案して行くものであろう。それは行政の都合で作るのではなく、立法者が憲法に則し、また現実に即して創って欲しいものである。とにかく、私たちは「一票の格差」が如何に問題である、民主主義のイロハである。当然のことであるが、議員たちはそれより自分や仲間の選挙区における定員確保が重要なのであろう。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO62908880R21C13A1MM8000/