米連邦最高裁は6月までに同性婚そのものの是非に決着をつける

(日経「春秋」2015/2/18付) 結婚を男女間のものと規定している法律は違憲だ――。米国の連邦最高裁がこんな判断を下し、同性カップルの権利拡大に道を開いたのは一昨年の6月だった。画期的な話だが、こういう動きに日本人の多くはまだピンとこない。でも、渋谷区が、同性カップルを「結婚に相当する関係」と認めて証明書を発行する条例を作るという。法的な効力はなく、同性婚容認とは次元の異なる試みだ。とはいえLGBTへの差別を問うてきた人々にとっては大きな一歩、かたや保守的な立場から見れば結婚や家族のあり方を揺るがす大問題だろう。米連邦最高裁はかの一昨年の判決に続き、今年6月までにいよいよ同性婚そのものの是非に決着をつける判決を出すという。この問題についての歴史的な節目になるに違いない。やはり、ピンとこないと言っていられる時期は過ぎつつある。
(JN) この世に生まれ、すくすく育ち、大人になり、結婚し、家族を形成し、子どもを持つ。この結婚というものをなぜ法律で定めるのか。家族構成をなぜ、戸籍に記録されねばならないのか。良くわからない。誰と一緒になろうと良いのではないか。一緒に生活するだけならば、特の届けの必要がないだろうし、それを法律で縛りようがない。これは子供の問題であろうか。資産の継続の問題であろうか。良くわからない。家族とは、『広辞苑』に記されているように「血縁関係により結ばれた親族関係を基礎にして成立する小集団」でなければならないのか。血縁が重要なのか。私の考えは、欧米社会の常識より何周遅れであるのか、根本的にその考え方がトラックから外れているのかもしれないが、血のつながりよりも、もっと大事なつながりがあると考えるが、それが何であるかは、まだ分からない。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83344280Y5A210C1MM8000/