『サンマータイム』

サンマータイム』<2018年9月29日(土)>
 1929年6月27日の帝国議会、「サンマータイム制度を設けたい」と呼びかけたが、張作霖爆殺事件の処置をめぐり田中内閣は総辞職し、サンマータイム構想は吹き飛んだと『余録』(180929)。そして、「占領期の夏時間は不評で講和とともに打ち切られ、その後も省エネや温暖化対策での導入話が浮上するたびにつぶれた。・・・一旦導入後に廃止した国は多く、導入と廃止を繰り返す国もある。EU各国の動向を見ても揺らぎの多い制度だが、五輪名目の導入案はあまりにも筋が悪かったようである」。
 (JN) 「サンマ―タイム」、活用しているヨーロッパ諸国の緯度はどの程度で、日本と同等の環境なのであろうか。その効用は如何なのであろうか。今回、我が日本でこれを行いたいとは、誰の思い付きなのか。なぜ、我々の時間を勝手に動かそうと考えるのか。政治家として、「私は、サマータイムを作りました」としたいのか。何でも一斉に枠の中に押し込められては敵わない。日々の時間使い方から休日の取り方まで、もっと自由にすべきである。日本人の「みんなと一緒」を国が強制しないでほしい。さがさないであの頃の私を。あれは遠い夏の日の幻。