『夏を迎え、戦争のおぞましさを改めて思う』

『夏を迎え、戦争のおぞましさを改めて思う』

 夏に向かって「あの年を振り返るとき、3月10日、6月23日、8月6日及び8月9日、これらの日付が鋭い痛みとともに浮かんでくる」と「春秋」(日経/16/7/25)。更に、「7月25日の豊後水道に浮かぶ保戸島を米軍が空襲をもまた胸に刻みつけておきたい」と。「あの年、空襲にさらされた日本の都市は100を超えた。それぞれの街が、むごい悲劇を記憶しているはずだ。日本軍が無辜の人々に与えた惨禍もまた、つらい記憶となって伝えられているのだろう。夏を迎え、戦争のおぞましさを改めて思う」のである。

 戦争は関係者をどんどん広げて行き、惨禍を拡大して行く。兵器を手にしたものは、敵を抹殺することを目的として行動し、その敵は非戦闘員であろうと容赦しない。それは第2次世界大戦という過去の出来事で終わったのではなく、その後も懲りることなく続いている。大国の正義の下、戦争はどれだけの一般市民の命を奪ってきたのか。無能な我々は、辛い記憶を忘れて、又殺戮を繰り返す。自分が係わらなければ他人事、自分が係わっても時が経てば忘れ去られる。戦争はなくなることがないのであろうか。(JN)