金沢には「目に見えない魔力のようなもの」が宿っている

(日経「春秋」2015/2/16付) ある老舗で寄せ鍋をつつき、丸谷才一さんは驚嘆した。「食通知つたかぶり」に登場するその土地は金沢、白菜や糸こんにゃくまで作家にたたえてもらえる町は、そうあるものではない。泉鏡花室生犀星吉田健一と名だたる文人が金沢の味や城下のたたずまい、伝統工芸を称揚してきた。五木寛之はエッセーに、ここには「目に見えない魔力のようなもの」が宿っていると書いた。来月開業する北陸新幹線により、かくも畏敬を集めてやまぬ古都がぐっと身近になる。JRにとっては久々の期待の星だが、振り返れば1970年代、国鉄はディスカバージャパンのキャンペーンでこの町を大いに宣伝した。飴(あめ)屋の暖簾(のれん)の前ではしゃぐ「アンノン族」のポスターを覚えている人も多いだろう。金沢へ行くといえば夜行列車。そんな時代の憧憬をしのぐ旅心を、新幹線はどうかき立てるだろう。
(JN) 新幹線がどんどん日本中に巡らされ、便利になる。そして、地方はどんどん近くになり、人口は首都圏に更に集中する。東京に住んでいる者は、この便利さのおかげで、観光が速やかにできるようになったが、地方からすれば速やかに若者が出て行ってしまうのである。観光地となるところは、人が溢れ活気があろうが、そこから外れれば、衰退をして行く。そんな人離れを食い止めるために、原発に頑張ってもらおうというところがあるわけだ。お金がいっぱい入って来て、仕事もあって若者を引き留めようと。でも、長く考えてみれば、それはかえって逆効果であろう。地方創生は、いったい誰のためにあるのか。新幹線はいったい誰のためにあるのか。原発は誰のためになるのか。それは、今後、どんな将来を描いているのであろうか。勿論、金沢が近くなることは嬉しいが、これで良いのであろうか。せっかくの魔力は無くなりはしないか。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO83213180W5A210C1MM8000/