『語呂合わせでコナモンの日。「強欲」への自戒、お忘れなく。』

『語呂合わせでコナモンの日。「強欲」への自戒、お忘れなく。』<2917年5月7日(日)>
 臼は富を生み出す象徴、昔話の「海の水はなぜからいか」を「春秋」(170507)は紹介する。なんでも出てくる臼を手に入れた強欲者が海に出て塩が欲しいと欲したところ、止め方がわからず船が塩の重みで沈み、臼は永遠に塩を海に出し続けたと。そして、「保護主義的言動で利を独り占めしようとしたり、『核心』や『1強』の名の下に権力を集中させたりしては、思わぬ結末が待つ恐れもある。語呂合わせでコナモンの日。「強欲」への自戒、お忘れなく」と。
 (JN) 欲望は限りないが、人間はその欲望をどこへ向けるかで、欲望の世界の中で世界を変えることができるのか。人も物もその効用をどのような方向へ持っていくのか。商品経済の渦の中で、私たちが民主主義における選択をそれぞれに考えねばならない。臼の使い方も、心得ていないと自分たちが臼に引き裂かれる。ポラニーの言葉を借りれば「悪魔のひき臼が人間を浮浪する群衆へとひき砕く」。便利な臼の使い方を間違えたままでいると、この独占的強欲の世界は、やがて強欲も含めて、粉々に何(誰)が何(誰)だか分からなくなるのではないか。皆粉と消えるのか。