表現の自由は名作か駄作かを選ばない

(日経「春秋」2014/12/26付) チャップリンの映画「独裁者」が米国で公開されたのは第2次大戦のさなか。そのころ、チャップリンのもとには脅迫状が次々舞い込んだ。暴動を起こす、映画館に悪臭弾を投げこむ、スクリーンを蜂の巣みたいにしてやる。思いあまったチャップリンは港湾労働者組合の委員長に相談した。屈強な男たちを映画館に紛れこませ、騒ぎを鎮めてもらおうというのである。コメディー映画「ザ・インタビュー」は、残念ながら「独裁者」のような傑作ではなさそうだ。が、表現の自由は名作か駄作かを選ばない。サイバーテロハッカーの脅しに方針は二転三転したが、やっとこの映画が公開された。自由の国はなんとか面目を保ったといえるだろう。さて、チャップリンの相談にくだんの委員長は笑いながら答えた。「まずそんなことにはなるまいね。きみはきみの観客の中に、そんなやくざな連中をおさえるだけの味方をちゃんともっているはずだよ」。市民への信頼、市民の責任を言い尽くしている。
(JN) 権力者は、表現の自由を抑え込んではならない。というより、風刺されるのは権力であるが故であり、その風刺に耐えられないような権力者は、その資格がない。北朝鮮は、いつまで金帝国として軍事独裁政権を続けるのであろうか。私たちは、様々な声と文字を使って、北朝鮮の人たちが自由を早く得られるようにし続けなけれなばらないであろう。ユダヤ人の床屋は言う、「絶望してはいけない。私たちに覆いかぶさっている不幸は、単に過ぎ去る欲であり、人間の進歩を恐れる者の嫌悪なのだ。憎しみは消え去り、独裁者たちは死に絶え、人々から奪いとられた権力は、人々のもとに返されるだろう。決して人間が永遠には生きることがないように、自由も滅びることもない。」
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO81350580W4A221C1MM8000/