私は大学者になるか豆腐屋になるか、一生懸命考えた

(日経「春秋」2014/11/8付) 「観光宮崎の父」と呼ばれるのが大正の末にバス会社の宮崎交通を創業した岩切章太郎は、今でいえば「地方創生」。原点は少年時代の、新渡戸稲造との出会いだった。新渡戸が宮崎を講演に訪れ、岩切少年は学校の先生に許しをもらって聞きに行った。頭に焼きついた話があった。「豆腐は非常に良いたんぱく源だ。日本人がいい体格になるには、もっと豆腐を食べないといけない。私は大学者になるか豆腐屋になるか、一生懸命考えたことがある」。地方にいても十分に生きがいを見つけられると思うようになったのは豆腐の話からだったと、岩切は後に振り返っている。政府が地方創生に向けた総合戦略と長期ビジョンの骨子案をまとめた。ビッグデータを活用した地域産業の育成や地方移住の推進などの項目が並ぶが、具体策に乏しい。肝心なのは自分は地方で頑張りたいという人を、どうやって増やしていくかだろう。子供のころの出会いや学びも大事だと、観光宮崎の父は教えている。
(JN) 地方創生は何のために行うのか。私はここで頑張って行こうという人材づくりだ。何かで地域を盛り上げることは一時的にできようが、継続的に地域の発展を維持して行くのは人であり、人はそう簡単に作れないのである。時間をかけて蒼生を育て上げて行くための基盤を創生することである。それは、地方だけではなく日本全国で子どもや育てる親が生きがいを見出せる社会づくりであり、政治家の満足のためではないが、早く成果を出さねば、選挙に負ける。だから長期的な政策は打ち出せない。国民は、補助金は欲しい、成果の出ない政党等には投票しない。従って、金をばらまき、更なる一極集中が進む日本となるのである。
http://www.nikkei.com/article/DGXKZO79452430Y4A101C1MM8000/