(日経「春秋」2014/10/21付) 「高速鉄道の第一人者」。張曙光・元鉄道省運輸局長に北京の裁判所は先週、執行猶予つきながら死刑を言い渡した。罪名は収賄。日本円にして総額8億円もの賄賂を受け取ったという。張元局長自身は、あの事故の前にすでに失脚していた。米国で100万ドルの別荘地を買ったなどと、派手な散財が早くから取り沙汰されていたらしい。それにしても死刑とは厳しい。そんな感想を抱く日本人は多いだろう。一橋大学の王雲海教授によると、政治とカネの問題では日本こそ政治家に厳しく、中国の場合は厳しかったり厳しくなかったりするのだそうだ。政治資金規正法や公職選挙法のような仕組みは整っていない。野党やメディアによる追及もない。当局の捜査は共産党の政治判断が左右する。小渕経産相や松島法相を辞任に追い込んだような問題は、中国だと何でもないのかもしれない。王教授が指摘する日本の厳しさは「法の支配」の表れといえようか。
(JN) 8億円の賄賂を受け取っても、今の日本では死刑にはならないであろう。しかし、それが江戸の時代であれば、役人(武士)は、切腹であろうか。死刑と言うものが、まだある日本と中国、平時に人の命を国が殺めることは良いのであろうか。しかし、執行猶予つきの死刑とはどういうことなのだろうか。お利口にしていると、死刑を免れるのであろうか。何とも怪しい、執行猶予付きの死刑とは。やはりそこには、法ではできないさじ加減があるのか。一方で、小渕経産相や松島法相の問題など、中国では問題にもならないという、これは賄賂国家と法治国家の相違であろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO78663740R21C14A0MM8000/