自国民が飢えようが、極寒に震えようが、まったく意に介さない

(日経「春秋」2013/2/18付) 1990年に福井県美浜町の海岸に打ち上げられ、警察が押収した北朝鮮の小型工作船を見たことがある。安定性よりなにより、とにかくスピードを出せればいい。そんな発想であろう。安普請の船体と大馬力のアンバランスな組み合わせ。時速100キロぐらいまで出たが、船体は長時間の航行に耐えられなかった、と警察はみる。自国民が飢えようが、極寒に震えようが、まったく意に介さない。今の北朝鮮の姿勢は、あの工作船の構造と二重写しになって見える。暗闇に乗じ、悪天候をついて上陸を図った工作船は消波ブロックにぶつかり、大破する。近くの海からは七つ道具とともに、損傷が激しい2人の水死体が見つかった。身につけていた指導者親子の肖像画は波間に漂っていた。今の北朝鮮もこのままでは、工作船と同じ運命をたどりはしないだろうか。
(JN) 独裁政権と言うか、軍事政権のこの国にとって、何が大事であるのか。どんな国であろうと、そこに住む国民が一番大事なはずであり、これは国家の大計のためでも犠牲にしてはならない。これは我が国を見ても他人事ではない。国力や電力のために犠牲にされた地域住民はどうなるのか。その政策を市民であれば考えねばならない。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51833210Y3A210C1MM8000/