栄華を誇る人類の、その非力をも諭す宇宙の摂理

(日経「春秋」2013/2/17付) 江戸時代の流行や事件事故、災害などを細かく記録した「武江年表」に、ときどき「光り物」が出てくる。たとえば1817年11月22日には「江戸市中雷鳴のごとき響きして、光り物空中を飛ぶ。長い歴史のなかでは隕石は珍しくないのだろう。実際に数センチくらいの小物なら毎年何百個も降っているという。大半は海に落ちて事なきを得るけれど、地球を取り巻く環境はかくも荒々しい。ロシアのウラル地方を襲った隕石で大きな被害が出た。たまたま人間の暮らす場所に突っ込んできたための災難だが、負傷者の多くは衝撃波で割れたガラスによるけがだという。直径10メートル以下だと落下予測は不可能、もっと大物は発見できても破壊は難しいという。どちらにせよ手の打ちようがないわけだ。いま栄華を誇る人類の、その非力をも諭す宇宙の摂理というほかない。
(JN) 広大で果てのわからぬこの宇宙で何が起きるのか。外から何が来るか、分からずまた無抵抗である。我々はこの非常に小さな地球で、張り合っているが、せめて地球内ではお互いに分かり合えるようにして、過ごしやすくできないものか。他国を威すために力を注ぐより、自国の国民を富ましたい。それとも、宇宙に諭される前に、自滅するのであろうか。
http://www.nikkei.com/article/DGXDZO51815170X10C13A2MM8000/