#誰もが「悲劇の加害者にも被害者にもなりうる」

『#誰もが「悲劇の加害者にも被害者にもなりうる」』<2021年3月20日(土)>
 26年前のきょう、地下鉄サリン事件。『春秋(210320)』は1995年そして、今を思う。「われわれ全員が、悲劇の加害者にも被害者にもなりうる」。米国の社会学者、パトリシア・スタインホフ氏は連合赤軍事件について、『死へのイデオロギー』で述べている。赤軍派の若者たちとオウムはよく比較される。あの年は戦後日本の転換点でもあった。バブルが過ぎ去り、阪神大震災の痛撃を受けた95年の世相を抜きにオウムは語れない。ならばいま、コロナに苦しむ世の中もカルトの危険は大きい。不審な団体がSNSを使って学生を誘うケースも目立つという。四半世紀を経て、そのネット空間では、数知れぬ罠がわたしたちを待つ。誰もが「悲劇の加害者にも被害者にもなりうる」可能性が膨らんでいよう。あの日の衝撃は、ますます深い問いを投げかけている。
 (JN) 理工系の学力優秀な若者がサリンをつくりだし、殺人を起こす。赤軍派は何を求め、仲間を殺害していったのか。何故にあのような行動を起こすのであろうか。私たちの頭脳は、愚かなのか、残酷なのか、ご都合次第だろうか。総括できず、矛盾を繰り返すのが私たちなのか。平和な都心の地の下で、何かを信ずる貴方が何を起こし、貴方がその犠牲になるかもしれない。
#1995年
#オウム
#カルトの危険

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