『盧溝橋事件80年』

『盧溝橋事件80年』<2017年7月9日(日)>
 「原爆や空襲の経験ですら語り継ぐのは簡単ではない。ましてや加害の過去を胸に刻むのは大きな痛みを伴う。それでも避けて通れない道であろう。愚行を将来、繰り返さないためには」、と『天声人語』(170709)は、7月7日の盧溝橋事件80年を思い、その現実を訴える。「中国大陸での戦争の実像は、徹底的に隠された。しかし戦後も、それが広く共有されたと果たして言えるだろうか。7月7日に東京都内で開かれたシンポジウムで印象に残った言葉がある。『これは、語れない戦争なんです』。略奪や虐殺があったがために家族に話すことがはばかられる。だから日中戦争の記憶が薄れているのだと、山田朗明治大学教授が訴えていた」。
 (JN) 現実を明らかにすることは辛いことである。しかし、戦争の悲惨さは、認識しなければならない。その戦火は、私たちの生活を根本から変えてしまう。また、勝つためにと、多くの活動が統制されていく。正義のためと戦うが正義とは何か。第二次大戦に多くの人たちが巻き込まれた。戦地も銃後も何かを信じて生き延びようとした。敗戦によって、その信じていたものが全て否定される。また無理な戦争であったことも知る。戦地の赴いた者は、その酷さを語りたくない。私事であるが、中国進駐軍の兵士であった伯父たちから、それは伝わってこない。一方で進駐軍政策で、米軍の正義と米国の素晴らしい生活が流れ込んでくる。コンバットのサンダースやヘンリーを応援する愚かな少年には、戦争が起こした蛮行が伝わってこなかった。戦争には正義ない。あるのは悲劇である。戦争を認識するためにも、その事実を知ることが大事であるが、生き証人と記憶は減るので、記録を大事にし、それを理解して行きましょう。