『紙幣のデザインには時代を象徴するところがある』

『紙幣のデザインには時代を象徴するところがある』<2020年1月5日(日)>
 タイを訪れた『春秋(200104)』の筆者は、お札がワチラロンコン国王の肖像を配していたことに思う。「聖徳太子の登場する1万円札が発行されたのは1958年から80年代半ばまで。高度成長のイメージ・・・福沢諭吉は、失礼ながらバブル崩壊後の経済停滞の印象・・・4年後に登場する渋沢栄一はまた、新たなイメージをまとう・・・電子決済や電子マネーの広がる勢いを踏まえると、紙のお札がいつまで時代を象徴していられるのだろう・・・バンコク暮らしの長い知人によればタイではキャッシュレス化が急速に進んでいる。『時代の変化はむしろそこに鮮明だよ』とのことである」。
 (JN) 私がお金やお札を知った時期が1960年代ゆえ、未だに一万円の表現に聖徳太子を思ってしまう。この聖徳太子の価値はインフレ経済においてどんどん下がっていった。しかし、成長のシンボルであった。福沢諭吉の時代は給与が銀行振り込みになり、自分の手には届かず家庭に吸い込まれていた。今、財布を覘いてみれば野口英世ばかりで福沢はお二人であった。それよりも、カードが幅を利かせてきている。私の財布の話は別として、渋沢栄一が日本のお札の中核として、信用と流通において、いつまで活躍するのか。