『2019年に「あばよ」』

『2019年に「あばよ」』<2019年12月31日(火)>
 本年の最終日、『筆洗(191231)』は別れの言葉は「『あばよ』。同じ別れの言葉でも『さようなら』『さらば』に比べ、ぞんざいでふてくされ、すねたようなニュアンスを感じる人もいるのではないか。<笑ってあばよと気取ってみるさ>は中島みゆきさんの『あばよ』。女性の失恋を歌っているが、その『あばよ』は怒っている。・・・二〇一九年が終わる。災害や事件、政治問題。振り返れば、ふてくされたくなる出来事ばかりを思い出すのは人の常か。一九年よ。おまえもつらかったことだろうて。友と別れる気分で『あばよ』と送る」。
 (JN) 何で「こんな」年であったのか。皆、その「こんな」は違うであろうが、その起因は自分たちの行動から来ているのであろう。否、行動しないから「こんな」になってしまったのだろうか。「あばよ」と言うことはできても、この現実から「あばよ」とはならない。一気に「あばよ」とはならないが、少しずつでも小さな「あばよ」をして行くことであろうか。先ずは、それはなんであろうか。
#2019年との別れ
#怒っている
#あばよ

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