『♪やさしき翼の飛び交うところ すべての同胞・・・』

『♪やさしき翼の飛び交うところ すべての同胞はちぎりをむすんだ兄弟…』<2017年10月6日(金)>
 パブロ・カザルスが「九十六歳で逝って、四十四年。カタルーニャで独立を問う住民投票が行われ」た。『筆洗』(171006)は、カザルスの愛するカタルーニャのために「初めて、投票したのは、五十四歳の時だった。新生カタルーニャの出発を、彼はベートーベンの交響曲第九番を指揮して祝ったが、わずか五年後にファシストが反乱を起こした」と伝え、そして思う。「独立がスペインはもちろん、カタルーニャ内部にも分裂と対立をもたらすのではないかとの懸念もある。カタルーニャ州議会は近く独立を宣言する構えだと伝えられる。それは、カタルーニャの人々と『兄弟』にとって、『歓喜の歌』となるのだろうか」と。
 (JN) そこから抜け出したいということは、そこが居心地が良くないということなのであるか。国が大きければ強くなるが、その中でのマイナーや異質なところは、抑圧されることがある。どこの国でも見られることである。いざ独立をしようというその決断を大事にしたいが、そのために、各地域は混乱が起き、戦火がその地域を苦しめている。投票だけで済む問題ではないので、カタルーニャが心配である。国というものが無くなり、国境がなくなればこんな問題が起きないのか。私たちの心の中に、様々な壁が潜んでいるのかもしれないが、なんとかこの壁を取り除き、個々を活かしながらも互いに協力できる世界を作り上げられないものであろうか。一変にとは言わない。徐々に互いが馴染めないか。一緒に心を馴染ませないか。ベートーベンでも、モーツァルトでも、バッハでも良い。カザルスはいないが、あの響きで皆をつなげることができないか。