『一般大衆はパンを求めるのだが、そのやり方はパン屋を破壊である』

『一般大衆はパンを求めるのだが、そのやり方はパン屋を破壊である』<2019年11月8日(金)>
 チリで大きな反政府の運動に『筆洗』(191108)は思いを述べる。先ずはオルテガの『大衆の反逆』を引用する。「<食料が不足して起こる暴動のさいに、一般大衆はパンを求めるのだが、なんと、そのやり方はパン屋を破壊するのがつねである>。求めているもの、破壊してはいけないものまで壊してしまうことへの警告であろう。先月、チリで大きな反政府の運動が起きた。きっかけは地下鉄料金を数%値上げするという政府の発表だ。首都の地下鉄駅には、火が放たれている。・・・怖いのは扇動者の登場などで、人々の望まない流血の事態や新たな圧政に至ることだろう」。
 (JN) 怒ってしまった大衆の歌劇行動は止めることが難しく、目的を理解せず破壊行為に走る。それを止めようと、政府側は力で押さえつけようとする。過激行為はエスカレートして行き、悲惨な現実を生む。この最前線でぶつかり合うものが、双方とも悪者であるかのように表れるが、その後ろにいる者が問題である。破壊や暴力は無用にできないか。パン屋や地下鉄を破壊しても何の解決にもならないことは、わかるはずだが行ってしまうのはなぜか。反逆側と政府側のリーダーたちが、生身の人間を事も無げに扱っていないか。
#大衆の反逆
#地下鉄駅に放火
#パン屋の破壊

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