『この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を・・・』

『この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに……』<2018年3月30日(金)>
 戦後3年たって制定された優生保護法の第1条の冒頭、「この法律は、優生上の見地から不良な子孫の出生を防止するとともに……」。『春秋』(180330)は訴える。「言論の自由や人権が制限され、国家が威張っていた『戦前』は1945年の敗戦で終わり、新しい価値観の『戦後』が始まった――。およそこんなイメージだが、じつはそこに大きな落とし穴が潜む。・・・わずか22年前、平成の世まで条文は生き永らえたのだ。・・・かつて同様の過ちを犯したドイツなどは被害者への補償や謝罪に踏み切っている。この理不尽を正すのに、もはや一刻の猶予もならぬはずだ。もうひとつの戦後を、直視しなければならない」。
 (JN) 優生保護法が1996年まで存在したとは。こういった法は戦後すぐに改正されているかと思いきや、改正はされたがその中身は問題が多いままであった。こういった考えは、相模原の障害者施設での殺人事件を生むのか。私たちは何を優生せねばならぬのか。私たちは、小さな自分たちの世界を守るために、人としての在り方を拒否することを平気でしてしまう。「不良な子孫の出生を防止する」とはひどい話である。我々はそれぞれに不自由を持ち生きていながら、様々な不自由さにを差別をしてきた。私たちはそれぞれに特徴を持ち、互いを認め助け合い、新たな世界と生命を生み出してきたはずだ。これを小さな自分の世界だけのことではなく、人類すべてに対して相互理解し、連帯していかねばならない。間違っても自分が優生であるなどと理解してはならない。