『兵庫県多可町は「一日ひと褒め条例」を元日から施行した』

兵庫県多可町は「一日ひと褒め条例」を元日から施行した』<2019年1月6日(日)>
 インターネット上では「ディスる」ことが多くある。「そんな風潮に待ったをかけようと、兵庫県多可町」の試みを『余録』(190106)は紹介する。「『一日ひと褒め条例』を元日から施行した。・・・条例は前文で、ソーシャル・ネットワーキング・サービス(SNS)などの技術で『匿名のまま他人を傷つけることができる時代』になったと指摘し、直接話し合うよう町民に呼びかけた。町議が商工会の若手と相談して文案を練り、議員提案で可決された。・・・さて思惑通り、互いをほめ合う声が町に飛び交うだろうか」。
 (JN) どうもなかなか素直に褒め言葉を受け入れられない。素直でないからだろうか。それに、褒めることは人の自由ではないか。それを条例で定めねばならないことがなんだか寂しい。それだけ世の中は批判や非難だらけなのだろう。大体、ものを申すのは文句があるからである。文句を言われることが世間に多くあるのか否かは、それぞれの人の思いによって異なる。したがって、何を言っても、関係者の全員の称賛はなかなか得られないのが現実だ。そして褒めることや褒められることが得意である人はどの程度いるのか。ということで、ここはこの条例褒めねばならない。また、受け入れないことであっても、全面否定はせず、良いとこを探し褒めることも必要。難しいが、褒めるということが当たり前にできることをわしたち自身がその必要性を理解しなければならないのであろう。