『けっして はなればなれに ならない こと』

『けっして はなればなれに ならない こと』<2019年8月2日(金)>
 参院選後、初の国会召集、『筆洗』(190802)は野党共闘を思う。スイミー、「『ちいさなかしこいさかなのはなし』で、小魚たちが大きな一匹を模して大きいのを追い払う。・・・ここにきて、同じかしこさを胸に刻んでいる人は、野党の中にも多いだろう。・・・巨大な与党を脅かすまでには、とうてい至っていない野党・・・改憲勢力は伸びなかったのに、改憲を目指す首相の秋波で向きが乱れたようにみえる場面もすでにあった。基本政策の違いという難題もある。<けっして はなればなれに ならない こと>。主人公のスイミーは、言っているが」。
 (JN) 何せ原理主義なところがある諸野党は、なかなか継続的にスイミーになれない。一方は、バラバラだが一つの欲望へ力を集中する与党である。スイミーは与党の方かもしれない。この巨大な与党に立ち向かうには、数が無理なら何があろうか。立法は数で押し切られてしまう以上、選挙で一つひとつ数を近づけることである。それは、野党が一つになるための何かを作り上げて大きな魚かになっていくことである。そして、このスイミーにくっついていく国民を多くするためのには、国民も大きくならねばならない。弱きものが手をつないで、自分たちを豊かにして行く。それを気づかすのが野党スイミーの役目である。自由のためにも皆で一緒に一つの方向へ。
#はなればなれにならない

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