『二度童子(わらし)』

『二度童子(わらし)』<2019年6月19日(水)>
 「かつて東北地方などでは恍惚の境地に入った人を「二度童子」と呼んだという」。『春秋』(190619)は恍惚との付き合いを思う。「政府がきのう、認知症対策の新たな大綱を閣議決定した。患者が暮らしやすい社会をめざす『共生』と、発症や進行を遅らせる『予防』とを柱にするそうだ。・・・当初案では『予防』が『共生』よりも上にあった。いかに『共生』を唱えても、まだまだ社会は戸惑い、誰もがたじろいでいる――。・・・認知症はまさに誰でもかかる。そして症状が進んでも、さまざまな感情は心を離れない」。
 (JN) 人生にはその到達点がないので、常に目指すものを持ち生き続けようとする。でも、老化と共に様々に身体や心が言うことを聞かなくなる。自分の世界がどんどん狭まって行く。心と体のバランスが悪くなる。静かに体の機能が衰えて行き、その衰えは人様々、自分はどのように衰えて行くのだろうか。自分の判断力と行動力は、いつまで維持できるのか。人生100年時代を迎えるというが、あの高度成長期に怪しげな飲食物を身体に入れ、また汚染された空気を吸ってきた私たちは、そんなに長生きができるのであろうか。自分の親より長生きができまい。でも、ボケ老人になることはもう間違えなさそうな今日のこの頃である。子供たちにどれだけ迷惑をかけるのか。その時はわからないのか。「私を忘れないで」、「否、私は忘れてしまう」のか。

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