『どうしたら子どもを守れるのか』

『どうしたら子どもを守れるのか』<2019年5月29日(水)>
 昨日の川崎市での通り魔殺人について、『余録』(190529)は語る。「昔の人は理解を絶する無差別な凶行を何かの魔の仕業と思うしかなかったのだろう。・・・いつもと同じ朝、突然子どもたちが訳の分からぬ殺意に襲われたなら、その理不尽をどう心におさめられるだろうか。・・・何の防備もない子どもらの集団は、だからこそ襲われたのか。・・・底知れぬ悪意の魔はどこから来たのか。その口から聞き出す機会は永遠に失われてしまった。『どうしたら子どもを守れるのか』。途方もない悪意を目の前にして戸惑う声が上がるのもしかたない。だが、それでも子どもは守るという地域や学校の「強い善意」の連携をおいて魔物を封じる手立てはない」。
 (JN) なぜ、こんなことをしなければならないのか。実行者であると言われる者は既にも図から命を絶った。当人から聞くことはできない。この犠牲者の方々は、なぜ犠牲者にならねばならなかったのか。このようなことが、また起きるのか。私たちは、子供たちを守るためにはどうすればよいのであろう。私たちは特に護身ができない。刃物を持った彼らが現れてからでは、その対応はその技術がなければ対応できない。であるから、その前の段階で対応せねばならない。通り魔が起こすこの行動の理由は何なのであろうか。なぜ人を殺めようとするのか。科学が進歩しても、なかなか人の心の奥底を解明できていない。その原因と対策を早く見出して欲しい。また現実の目の前のこととしては、彼らは自分より弱い者を対象にするだろうから、力強い者か、数多くの者の助けが必要なのだろうか。それは、行政がすべきこと、学校ができること、私たちができることは何なのだろうか。

f:id:morningstar:20190529151409j:plain