『富田林が「とんだ話」ではシャレにもならぬ』

『富田林が「とんだ話」ではシャレにもならぬ』<2018年8月14日(火)>
 「フィクションの世界で脱獄とか逃走といえば、あの手この手の計画と工夫が必要だが、現実ではそうでもないのか」と『筆洗』(180814)は皮肉る。通常、脱走には時間と工夫が必要である。映画「ショーシャンクの空に」や「アルカトラズからの脱出」等ご承知のことであるが、「大阪府警富田林署の接見室から男の容疑者が逃走した。さほどの知恵はいらなかったと書けばやや皮肉がすぎるか。・・・おかげで周辺住民はのんびりしたいお盆の時期に不安を募らせる。富田林が『とんだ話』ではシャレにもならぬ」。
 (JN) こんな間抜けな話があるのか。ニュースを聞いて信じられなかった。何処を見ているのか。否、見ていなかったのか。接見室は監視できぬ場所であるが、そこを囲む場所は警察署の場所である。なぜこんなに、間抜けなのか。というより責任の意識のない行政の一面が出てしまったのであろうか。組織の隙間である。業務分担に定められていない状況が発生したか、誰かが手を抜いたのか。危機管理は何重にも備わっていなければならないところとして手抜き状態である。管理責任ができていない警察に我々の生活が守れるのかと、失礼なことを言わせる失態である。他のところは大丈夫なのか。樋田淳也容疑者は必死に逃げる中で、笑いが止まらないかったのではないか。その笑いを抑えて逃げたものである。それとも高笑いしていても気づかぬ状況だったのか。逃走者の早い確保と原因解明を願う。とにかく、確りと見張ってちょうだい。