『働く時間が長い人ほど学ぶ割合が高い傾向』

『働く時間が長い人ほど学ぶ割合が高い傾向』<2018年8月21日(火)>
 「5万人強から回答を得た調査によると、昨年1年間に自分で勉強したり講義を聴いたりといった自己学習をした人の割合は、正社員で37%にとどまる」。『春秋』(180821)は自ら学ぶことを考える。まずは、「徒然草」の法師の話。「法事の迎えで馬をよこしてもらっても落馬しては情けないので、乗馬を習った。・・・法事の後の酒席で芸のないのは興ざめと考え、歌謡も教わることにした。乗馬と歌謡に磨きをかけるうち、説教を身につける時間がないまま年をとってしまったという話。・・・仕事の中に『気づき』があるわけだ。多少横道にそれても、肥やしになるならよしとしたい」。
 (JN) 準備ばかりしていては、目的を達せられない。少々、基礎能力が無かろうと、やることが大事である。能力ある者は、体験しなくとも目的のことに対する学習を始められるであろうが、凡人は体験しないとわからない。大体、ただ理由も知らずに基礎学習をしてもつまらない。まずはやることをやってみることである。そこに自分の実力の無さを知り、学習の必要性を知り、自己学習を始める。そして、凡人はその学習の面白さに深入りをして、本道から横道に逸れる。でもそれが優先道路になり、道が伸びひろがっていく。研究者になるわけではないから、そこが面白いのではないか。その横道が他の横道とつながる。これは、労働時間と関係ないのではないか。否、余計な知識があると、考える。このことに時間がかかり、労働時間が長くなるのか。これは不効率か。