『歴史とは現在と過去の尽きることのない対話である』

『歴史とは現在と過去の尽きることのない対話である』<2017年12月9日(土)>
 「このほど、歴史の教員らで作る研究会が高校の日本史や世界史で学ぶ用語を今の半分の1600語ほどに減らそう、との提言案をまとめた」。これについて『春秋』(171204)は思う。「蘇我馬子新撰組坂本龍馬クレオパトラ……。ヒーローや悪役に導かれ歴史に関心を持つ生徒も多いだろうに、学びの好機を逸することになりはしまいか。将来「過去との対話」が成立しなくなるのでは、と心配にもなる。パイプを閉ざすことにならぬよう、切に願いたいものだ」。
 (JN) 歴史は何のために学ぶのでしょうか。何の役に立つのだろうか。そう考えると、「蘇我馬子新撰組坂本龍馬」も知る必要はないかもしれない。

歴史は正にE・H・カーの言うところの「歴史とは現在と過去の尽きることのない対話である」。従って、歴史をはるか昔から順にやっていく必要がない。ある期間やある地域に絞っての学習でも良いのではないか。特に、小学生なら日本と身近な地域の近代史で良いのではないか。そこから、それ以前の歴史にまた興味を持たせて、中高で遡り、また世界を知るのではどうなのであろうか。大事なのは、過去との対話をしながらの現代への展開である。それは、お国が決めず、もっと地域や学校の先生にお任せしてはどうぜよ。