『灰いろのゴムのまり/光の標本を/受けかねて・・・』

『灰いろのゴムのまり/光の標本を/受けかねてぽろつとおとす(宮沢賢治)』<2018年8月22日(水)>
 今年の甲子園が終わった。今回は金足農高の話題でいっぱいである。『筆洗』(180822)は「縁もゆかりもない人びとが秋田の農業高校に惹きつけられ、・・・その有利とはいえぬ野球環境のせいかもしれぬ。雪深い地域では冬場の練習は難しい上、公立の農業高校では選手の確保も楽ではなかろう。高校で初めて硬式球に触れるような地元出身者を鍛え上げてここまで来た」と。『余禄』(180822)は「野球は記憶のスポーツともいわれる。大阪桐蔭の2度目の春夏連覇という偉業と共に金足農の活躍も多くの高校野球ファンの記憶にとどまるのは間違いあるまい」と。『春秋』(180822)は「賢治の詩にあるように、球を追うことそのものを楽しみつつ、粘り強い戦いぶりで際立ったのが雪国、秋田県金足農業高校である」と。
 (JN) 「目指せあの優勝の星を」と言うものの、大企業と中小企業の差があるチームが同じ土俵で闘う、この甲子園をどう考えますか。大阪桐蔭と金足農の総力の違いをなんとする。ハンディがありすぎないか。その差は言うまでもない。その差をこの連戦の中では、縮められない。せめて、決勝戦を良いコンディションで闘わせたい。大阪桐蔭は本当に高校野球のチームであろうか。アンダーエイティーンのプロチームではないか。私は、半世紀前より、野球ばかりしている高校生には矛盾を感じていた。我が故郷の東側に日大三校のグラウンドと合宿所があった。昔は高校自体は都心にあり、球児たちは1時間以上かかる通学をしていた。小学校の授業を終えて帰宅をすると、既に「カァーン」といういい音と元気な掛け声が聞こえてくる。なんでお兄さんたちはもう野球をしているのか。本当に高校で勉強しているのだろうか。大阪桐蔭の野球部の皆さんが勉強を十分にしているか、そんなことは知らないが、高校野球というものが金足農に求められているのではないか。それよりも、良い投手の肩の消耗も心配である。100回大会を終え、高校野球ファンは考えてもらいたい。