『「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の・・・』

『「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産」の世界文化遺産への登録が正式決定』<2018年7月2日(月)>
 「徳川幕府による禁教令の結果、信徒は迫害を避けるため、仏教などを隠れ蓑(みの)にしてでもキリシタンを信仰し続けた」。『筆洗』(180702)はその一端を紹介する。「出臼、肥料、三太丸屋」は、デウス、フィリオ、サンタマリアである。「信徒は迫害を避けるため、仏教などを隠れ蓑にしてでもキリシタンを信仰し続けた。宣教師も途絶え、口伝だけが頼りの教えは長い歳月の間、本来のカトリックから大きく変質していったそうだ」。そして、「過疎と少子化の時代である。かの地においても、人口減が進む。せっかくの文化遺産である。今後長く守り続けていく担い手を育てていくことも急務であろう。伝え続ける力が再び必要である」。
 (JN) 世界文化遺産となった以上、その管理をして、未来に残していかねばならないが、お国はどこまで支援をしてくれるのか。また、過疎化・少子化で人がいないところはどうすればよかろうか。今は、歴史的財産よりもカジノ優先、弱き労働者より経営者優先である。そして、子供を産めと言っている。それに、血税がどう使われて行くのか。若者は夢を描けない。今の自分が大事である。江戸時代とは異なる苦労がある。迫害から疎外となり、苦しい歴史は続くので、このことも記録していかねばならない。各自地域において、それぞれが伝承を続けていかねばならない。そして、世界中と協力をし合うことだ。それにより、この世界遺産がまた世界の歴史とつながってゆく。